気持ちのブレーキはなぜだろう。

最初のテーマから重いテーマではあります。

気持ちのブレーキはなぜだろう。という事です。

仕事のことですが、最初は頑張れているのに、徐々に気持ちにブレーキがかかってきて停止してしまうという事がよくあります。

体力的なこともあるのですが、気力的な部分が多くを占めている気がします。

気分、精神、感情。自分の気持ち、誰かからの圧力。

自分で自分を追い込んで自爆してしまう事もありますが、誰かにどう思われているのか、とかそういう外部的なストレスでやられていることも結構あります。

自分の内側の部分は改善できる事ではあります。単純に言えば強くなる。弱い自分をあきらめる。心にシャッターとかフィルターを用意して防ぐ。こうすると何も感じないように自己暗示をかけることができるかもです。

誰かからの圧力は、どうしても変えられません。それは結果を出すことでしか変えられないという事です。結果を出しても圧力は続き、結局のところは圧力は良かれ悪かれ続きます。

完全にあきらめてもらうという方法もありますが、それでは共存していくのは難しく完全に分離してしまうので、現実的ではありません。

そもそも、圧力は必然的にあるもので、言ってみれば物質や物体の性質と言いますか、それらにかならずあると言われている重力や引力のようなものだと思います。

かかわる、かかわらないには関係なく、物体、人が存在する以上はこういう圧力のような「力」は発生するもので、それは止められないという事を理解する必要があります。

すなわち、解決方法はありません。

圧力の方向や強さを変えることくらいしかできません。

僕ならばそんなもんだと思ってあきらめることにします。

ドシャ降りの雨の中に突っ込むような潔さが必要になってきます。

やるしかないのならやる。やらない自分よりはやってる自分の方がいい。

少しだけでも挑戦してみる。

やるかやらないか、あともう少しでやれるというギリギリまでやってみる。

時間を決めてやってみる「15分だけやってみよう!」という感じで自分をだますのもいい。

究極は、何も考えない。やる事以外考えない。どうすればできるのか?という事を具体的に考えて紐解いていく。人によっては具体的なスケジュールを組んでしまう。

あえて、今日だけ逃げる。

瞑想をして自分の気持ちを安定させる。

禊をして気持ちをクリーンにする。

こんなところだろうか。

僕の場合は、これからはこのブログを書くことという方法も加わることになりそうだ。

とりあえず、何かをつかめた気がするし、それだけでもやっている意味がある。

何かを迷ったとき悩んだ時に思っていることを紙に書き出す事はすごくいい。

僕は字がへたくそなので、紙に書くと自分の下手さでさらに混乱することがあるので、ブログで書いた方がよさそうだ。

その証拠に今回は少しだけ気持ちが落ち着いた気がする。

もし今回の文章を読んで、さらに混乱するようなことがあればゴメンナサイでした。

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